神楽坂便り「阿波踊り2004」
不定期にあらわれては、シーズの事務所のある神楽坂(かぐらざか)の四季折々をご紹介する「神楽坂便り」。前回は、4月の「お花見」をご紹介しましたので、約3ヶ月ぶりの神楽坂便りになります。
今回は7月23日に行われた「阿波踊り」です。
今回「神楽坂便り」を担当する私は、シーズに来てからまだ1ヶ月足らずなのですが、母が神楽坂生まれの神楽坂育ち(神楽坂通りの酒屋の娘)ということもあり、地方に住んでいた幼いころから、夏休みなどには、母の実家のあるこの地を必ず訪れていましたので、「神楽坂」は「私のまち」というような特別の思いがあります。
シーズから神楽坂通りに向かって、有名な料亭の並ぶ細い石畳の路地を通り抜けたところに、毘沙門さま(毘沙門天善國寺)があります。
「神楽坂まつり」は、この毘沙門さまのお祭りで、毎年6万人もの人が訪れるそうです。
お祭りが近づくと、どこからともなく神楽坂の町に祭囃子が聞こえてきて、軒先にかけられている江戸風鈴の音と重なり合って、「日本の夏」の情緒を感じることができます。浴衣姿の人たちとよくすれ違うのも、この時期です。「ほおずき市」から始まるこのお祭りのクライマックスとも言えるのが「阿波踊り」。今年で33回目を迎えます。
シーズでは今年も、忙しい合間を縫って、時間のあるスタッフを誘い合い、このお祭りを見てきました。
「ヤットサー ヤットヤット…ヤットサー ヤットヤット…ヤットサヤットサ ヤットサヤットサ…」
毘沙門さまの前に着いた時には、軽快なかけ声と、お囃子の音とともに神楽坂はすでに熱い興奮に包まれていました。大変な人出で、外国人、老若男女さまざまな人たちが、それぞれ手に汗にぎり、躍動感溢れる目の前の踊りを楽しんでいました。
実際この踊りを見ているうちに、自然に体が動いてしまうような思いがけない感覚を覚え、「♪踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン♪」というお囃子が頭をよぎりました。
約15の連が神楽坂通りを練り歩くのですが、阿波踊り連と一口に言っても、その踊りや鳴り物、気風はバラエティーに富み、一つひとつの連がそれぞれ個性的な独自のカラーを持って踊りを披露します。
ところで、なぜ、神楽坂で「阿波踊り」なのか、という疑問が湧いたので調べてみました。
明治、大正の頃の神楽坂は活気のある町でしたが、戦争で焼けてしまい、その神楽坂の町を多くの人の集まる、賑やかで、楽しく、元気な町にしたいという人々の思いから、誕生したのがこの「阿波踊り」だったそうです。
他の町がすでにやっていたということの他に、神楽坂を下ってお堀を渡ったところに、江戸城の「牛込門跡」の石垣が今でも残っているのですが、寛永13年、その牛込門を作ったのが阿波徳島藩の藩主の蜂須賀忠英で、神楽坂も阿波徳島と昔から関係があったということが、その理由だということです。
阿波踊りの歴史はおよそ400年も昔にさかのぼると言われていますが、長い年月の間、変わることなく人々に引き継がれてきた文化というものは、時代を超えて、決して古びれることなく、新しい興奮と感動を与えていくものだと思いました。
今年は連日の猛暑も手伝って夏の気分たっぷりのお祭り日和でしたが、昨年はあいにくの大雨でとても寒かったそうです。雨の中行われた去年の阿波踊りの報告は、『神楽坂便り「阿波踊り2003」』で別のスタッフが書きましたので、ご覧下さい。
今回の「神楽坂便り」へのご感想がございましたら、ぜひお寄せ下さい。
2004.08.02(て)