新しい社会貢献活動へのチャレンジ(6)町家倶楽部ネットワーク
■コーナーの紹介
npowebでは、新たなコーナーとして「企業とNPO」を企画しました。特に、企業とNPOの新しい取り組みに焦点を当ててご紹介していきます。
連載企画第1弾として、マイクロソフトと市民社会創造ファンドの提携による「Microsoft giving NPO支援プログラム」を取り上げます。2002年度選考には当会事務局長の松原明も委員として関わりました。
2002年度の助成対象に選ばれた7団体を訪問し、このプログラムの助成を受け、新たな一歩を踏み出した活動の様子をご紹介します。
第六回 町家倶楽部ネットワーク
(2003年11月10日訪問)
織物の町として名高い京都市北西部に位置する西陣。かつて応仁の乱の西軍、山名宗全が陣をかまえたことから名づけられたこの界隈は、繊維業界の衰退と、着物離れ、職人の高齢化などからひっそりと過疎化がすすんでいる郊外の一地区にすぎなかった。今、ここに新しい風が吹き始めている。
町家倶楽部ネットワークの代表、佐野充照さんにお話をうかがった。
1) まちを護る鍾馗(しょうき)さんを探して
1980年代から90年代初頭にかけてのバブル経済の波は、観光地ではリゾートホテルやゴルフ場などの乱開発を招き、都市では、マンション建設など土地投機ブームを呼んだ。
古都、京都も例外ではなかった。
一部では、高級な商家といわれる町家は難を逃れ保存されたが、それらは運がよかったに過ぎない。織物産業の拠点・西陣では、産業の空洞化につれて、空き住宅、空き工場が目立つようになり、それらは放置され、荒れるままになっていた。町はさびれ、機の音は遠くなりつつあった。
妙蓮寺塔頭円常院の住職である佐野さんは、1995年、近所の家を改築している大工さんから台所の守り神「布袋さん」を譲りうけた。火の神であり、食べ物に困らない生活をという人々の祈りが込められたこの神様も、システムキッチンの普及で、居場所をなくしつつあった。盗難よけ、財産保全、厄除けのために玄関や庇の上におかれる「鍾馗さん」も同じような運命をたどっていた。
このような昔ながらの庶民生活に密着した神様がどれくらい残されているのか興味をもった佐野さんは、地元、京都市上京区内を調査することにした。調査対象は鍾馗さんを選んだ。理由は簡単、家の外に置かれ、目につきやすいからだ。
その結果、かなりの数の長屋町家が西陣に放置されているのに気づいた。長屋町家とは、肩を寄せ合うように何軒かが連なった木造家屋のことで、このあたりでは織物の職人などが住んでいた。その多くは住み手を失い、荒れるままになっていた。
活動のきっかけとなった鍾馗さんを手にもつ代表の佐野さん
2) 「古さの魅力」という新しい価値
この体験を写真家の友人・小針剛さんに話したことから、活動が大きく動きはじめる。「町家には、都会の無機的なマンションにはない魅力がある」。小針さんは、空き家がそんなにあるならぜひ住みたいと、西陣で町家探しを開始した。しかし町家探しは一筋縄ではいかなかった。
100軒の空町家を確認したものの、持ち主が分かったのは30軒。交渉のテーブルについてくれた3人の大家さんと直談判し、やっとの思いで西陣に移住してきた。
小針さんは、築120年の織屋建ての町家を1ケ月かけて改装した。壁は崩れ、床はまるで草むらのようだったという。そこに、自宅兼スタジオ、骨董品屋という魅力的なスペースを創造した。この体験が地元紙の京都新聞に掲載された後の反響までは予想できなかった。
一日に60件の電話がなり響き、対応に3時間もとられるような日々が続く。「住みたい人は多かったのに、方法が分からなかったのでしょう」と佐野さんは語る。あまりにも問い合わせが多いので、どのような方法で空き町家を見つけ、越してきたのか、また町家で暮らす醍醐味などを話す説明会を開催しはじめる。これが、町家倶楽部ネットワークの前身団体「西陣活性化実顕地をつくる会」の活動のはじまりだ。
「説明会の参加の条件は特にはありません。基本的に町家に住みたい人ならどなたでも、という趣旨で行っていました。そのなかに大家さんがまじって参加している場合がある。そうすると、“うちの町家が空いたままになっているのだが”という相談も持ちかけられるようになったのです。」
町家の情報はまず不動産屋にはあがってこない。大家さんの多くは、町家を所有していても老朽化がすすんでおり、管理が大変だと考えている。むしろ不動産として価値を高めるには、建替えが必要だと考えてしまうようだ。
この状態のままで借りたいという人がいる。古いことに価値を見出す人々がいる。
大家さんたちもまた、どうやってこの味わいのある伝統的な木造建物を保存したらいいのか分からなかったのだ。
説明会を催しているうちに、借りたい人と貸したい人双方の情報が次第に佐野さんたちに集まるようになる。さらに、自力で町家を借りて西陣に越してくる人もあり、それをマスコミが取り上げるものだから、ますます町家に住みたい人が増えるという事態に発展していった。
町家に住みたい人向けに実施している説明会の様子
3) アートの伝統がまちを再生させる
「町家に住みたい人がこんなにいるなら、それをシステム化したら、より多くの人が町家に出会え、地域が豊かになるのではないか」。佐野さんたちは、このような動きを確かなものにするために、町家倶楽部ネットワーク(以下、「倶楽部」)を設立、「京町家の仲人システム」という物件情報コーナーを備えたHPを開設した。
このシステムは、大家さんから提供された物件情報を掲載し、一定の期間希望者を募り、申し込みがあったなかから双方の条件があった場合、倶楽部同伴で物件見学、さらに双方の交渉により合意に至れば賃貸契約成立、というものだ。それまで30件程度だったものが、HP開設により、一気に100件もの「お見合い」が成立した。
「町家に住みたい、という人は確かに多いです。しかし、不動産業者が仲介する物件ということになれば、住めるようにしておかなければなりません。ところが、町家は何年も放置されていたものが多く、雨漏りしたり、畳が腐っていたりと、かなり手をいれなければ住めないものがほとんどです。また台所が“通り庭”と呼ばれる下履きに履き替えないといけない土間兼通路のようなスペースにあることも多く、今の便利な住まいに慣れた人は足踏みするでしょう。高齢のご夫婦などはまず遠慮されます。」
そのため、町家に移り住んでくる人の多くはアーティストになるという。
写真家、陶芸家、画家、建築家、染色家、ガラス工芸家、音楽家などそのジャンルは多岐にわたる。彼らの多くは、崩れた壁を塗り、柱を磨き、屋根を塗りなおす。改装の過程そのものを楽しめる人々だ。
「放置町家を“アトリエ”として、“どのように改造してもいい作品”として、捉えなおすことで賃貸市場に登場させたのが、わたしたちの活動の副産物です」
アーティストを惹きつける町家の魅力に、町家が「職住一体の機能をもつ」ということがある。特に西陣では、西陣織の職人たちが町家を住居兼職場として利用してきたため、機をおくスペースなど、比較的広いスペースが住まいのなかに残されている。また、この土地の伝統から、ものづくりに励む芸術家を受け入れることに寛容だったことも、多くのアーティストが集まった理由にあげられる。
衰退の一途だったこの町が、アーティストが集まる場-西陣-として、観光ガイドなどでも特集を組まれるようになるのに、そう時間はかからなかった。
西陣織の拠点であった紋屋町で、唯一現存する三上家の職人長屋。今は陶芸家、染色家などアーティストが住んでいる。
4) 西陣から発信する新しいまちづくり
町家に移り住んできた人のなかから、地区の運動会に参加したり、消防団に参加する人がでてくる。若い人が増え、子どもも生まれる。そうすると、崩壊しつつあったコミュニティの再構築まですすみはじめた。
倶楽部では、演劇やパフォーマンス、展覧会を空き工場で開催したりするなど、先進的な活動を次々と行っている。
今年は、「町家新築プロジェクト」も始動した。また、マイクロソフトからの助成を受け、一時中断していた「アート イン 西陣」という催しも開催。空き工場で行っていた今までの形式を変更し、町家に移住してきた芸術家の工房ひとつひとつを歩いて芸術鑑賞ができるようにした。普段の生活や街並みそのものを見てもらいたいという思いからだ。
アート イン 西陣では、工房自体を公開し、町家の雰囲気とアーティストの作品を楽しめるようにした
アート イン 西陣で公開された作家の工房内
一方で、倶楽部のメンバーが核となってコンサートを開いたり、町家体験ができる「エコハウス町家」を主宰するなど、活動の広がりが生まれている。倶楽部がまいた種が、派生したかたちだ。
佐野さんが仲人した町家をのぞくと、どこでも住人が旧知の知人に会ったようにかけよってきて、近況を話す。佐野さんは、その人が飼っている犬の名前を呼び、最近、隣で赤ちゃんが生まれたことについて聞く。近く開かれる展示会の作品製作について激励する。今、困っていることはないかとさりげなく尋ねる。
アーティストが西陣に越してきたことをきっかけに、たくさんの芸術家どうしの交流が生まれている。この交流を仲人したのも、きっと佐野さんたちのこのような日々の会話からだろう。
鍾馗さんへの興味から生まれた活動が、意図せざるまちづくり活動へと発展した。今では、全国のまちづくり団体や自治体、商工会などが視察に訪れるようにまでになっている。
倶楽部には有給スタッフはいない。ゆるやかなネットワーク型の組織だ。行事を行うときは多くのボランティアが集まるが、仕事をもつコアメンバーだけでは、なかなかHPの更新作業が追いつかず、現在は活動の全体像をHPから全国に発信するできることができなくなっている。
今でもHPを見て、という問い合わせが日に何件も入る。「今回のマイクロソフトの助成はありがたかった。今までは機材もすべてスタッフが持ち込んでいたが、それでは続かない。HPを通して我々の活動を知る人は多いので、やはり、HPを見やすく、情報も充実させることが重要だと思う。このような助成を民間企業であるマイクロソフトが行うことには大きな意味がある。」
「まちづくり」といえば、行政からお金がでる時代になった。それは、中心市街地活性化や空き店舗解消といったフレーズさえこしらえることができれば、容易に手に入る。その多くは運営への補助や箱物への投資であり、官民の依存や、ソフト軽視を生む。民間団体が自由にのびのびと羽を広げてまちを豊かにするには、資金源は多様であった方がよい。
新しいHPでは、今までの物件情報をより詳しいものすることに重点をおく。ひとつひとつの情報を独立したページで見せ、応募状況などが一目で分かるようにもする。ほかにも、活動に協賛する人や倶楽部メンバーを募るコーナーを設けたり、町家に入居した人々の実体験や町家の暮らし方、修繕改修の情報、そのときどきのイベントの報告を行ったりしていくという。
「ゆくゆくは、西陣を、京都を知ることのできる雑誌のような機能を持たせたい」というのが佐野さんの構想だ。
町家倶楽部ネットワークのHPリニューアルは12月の予定だ。
プロジェクト名:
空き町家の有効活用と借りたい人、貸したい大家をつなぐ、人と人をつなぐネットワークの構築
■団体概要
設立:
- 1995年11月:
前身団体「西陣活性化実顕地をつくる会(ネットワーク西陣)」 - 1999年7月:
現在の、「京町家の仲人~町家倶楽部ネットワーク(MCN)」
所在地:
京都府京都市
目的:
京町家を工房、住居等に活用したいアーティストなどと家主をつなぐシステムづくりを進め、その実施を通して相互の人間性および地域を豊かにすること。
主な事業:
- 町家の仲人の実施を通した京町家の物件紹介
- 西陣を中心にした町家有効利用紹介
- インターネットを通じて、町家倶楽部や西陣を中心とした地域の情報を発信
代表者:
財木孝太(理事長)
スタッフ:
すべて無償ボランティア
会員:
コアスタッフ6名。ボランティア多数。
HPアドレス:
http://www.machiya.or.jp/
■取材関連情報
取材対象者:
佐野 充照さん(代表)、萩原 麗子さん(スタッフ)
取材日時:
2003年11月10日(月)午後1時~午後6時
取材場所:
京都市上京区 妙蓮寺内、円常院でお話をうかがう。その後、西陣の町家をご案内いただく。WEBデザイン事務所「マーブル.シーオー」、紋屋町三上家路地、SOHO支援町家「藤森寮」(ここには、町家倶楽部ネットワークの事務所も)、西陣サラサなど。
(2003.12.03)