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狭山丘陵の自然と文化財を考える連絡会議

2011.12.01
狭山丘陵の自然と文化財を考える連絡会議の元事務局長永石文明さんに活動を振り返っていただきました。

狭山アドボカシー図.jpg 団体名にも入っている狭山丘陵は、東京都と埼玉県の都県境に位置する丘陵で、里山の景観を色濃く残す自然豊かなエリアです。狭山丘陵の北半分は埼玉県に位置しますが1980年、そこに早稲田大学進出計画が持ち上がりました。その反対運動のために連絡会議を発足させたのが私たちの活動のはじまりです。
 大学や県を含めた協議会も立ち上げましたが、その際は会議室の中だけで話し合うのではなく、現地で一緒に作業をするような機会も設けました。開放的な野外で一つの作業を一緒に行うことで、大学や県の方と人間的なつながりを築けたことは、後の合意形成にとても有効だったと思います。
 こうした活動の後、他団体とともに県に「雑木林博物館構想」を提出しました。最終的に、大学・県・保護団体の間で3者合意がなされ、大学は自然共生型のキャンパスづくりを進め、県は狭山丘陵の保全を明言して「さいたま緑の博物館」の設立へとつながりました。公園が出来た後も、マウンテンバイクや外来種の野外遺棄などから自然を守るための公園管理について企画し、指導しています。
 一方、狭山丘陵の東京都のエリアでも、同じころに墓地開発の計画が持ち上がりました。これは開発反対の提言により中止となったのですが、今後同じような開発計画によって自然が失われないよう、里山公園の設置を提案しました。そして都の都市計画部局と定例協議会を重ね、「野山北六道山公園(256ha)」の設立につながりました。
 私たちは最終的に狭山丘陵の自然を里山公園と農地公園を作ることで開発から守りました。しかし、最初から公園をつくることを目的として活動していたわけではありません。当初は、開発の完全撤回を視野に入れていたのですが、相手の対応や状況を判断して、最終的には公園をつくることを提案したという経緯です。
 以上が概要ですが、私たちの活動では行政や開発側に対して、話し合いの場を設けることを大事にしていました。郵便や電話だけでなく、直接会う。そして1回きりではなく、定例化して何度も会うようにしていました。また、話し合いに出かける際は、1名で出向くと個人的な見解になりがちなので、複数ででかけるようにしました。
 それから地元の人に私たちの考えを理解してもらうために、地域の公民館などを会場にしてシンポジウムも積極的に行いました。活動成果については、必ず報告書にまとめて発行し、それを使ってセミナーを開き、活動の趣旨を広めることも行いました。
この団体は目標が達成されたのですでに解散していますが、私たちの活動によって生まれた「さいたま緑の森博物館」には、2009年に博物館友の会組織「緑の森倶楽部」が誕生し、市民参加によるさまざまな活動が行われています。

◆狭山丘陵の自然と文化財を考える連絡会議◆
○設立年:1981年(任務完了のため2004年に解散)
○主な活動エリア:東京都・埼玉県の狭山丘陵とその周辺
○代表者:勅使河原彰
○人数:幹事約10名
○狭山丘陵における自然保護団体、文化財保護団体の計10団体を構成メンバーとして設立。自然環境と文化財保全を軸に、開発問題や保全管理、環境教育などについて活動していた。
○ユニークポイント:環境問題に関して定例協議会形式で活動。シンポジウムを数多く開催する。活動成果を報告書として発行。成果はセミナーを開催して共有。


(出典 C's ブックレットシリーズNo.13 はじめよう市民のアドボカシー ~環境NPOの戦略的問題提起から解決まで~ こうやってます【事例編】)