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埼玉西部・土と水と空気を守る会

2011.12.01
埼玉西部・土と水と空気を守る会の北浦恵美さんに、前身の公害調停をすすめる会の発足からこれまでの活動を振り返っていただきました。

土と空気と水アドボカシー図.jpg 私たちは、1998年から埼玉県の所沢市周辺で活動しています。この地域では、1996年ごろからゴミの焼却炉が増えてたのですが、そこから有害物質のダイオキシンが出ているのではないかという住民からの告発がありました。そのころは、ダイオキシンが焼却によって発生することなどは一般には知られておらず、焼却炉に対する規制もありませんでした。
 しかし、この告発をマスコミがセンセーショナルに取り上げたことで住民の関心が高まり、まずは自分たちで実態を調べました。 最初は焼却炉がどのくらいあるのかも分からなかったので、焼却炉のマップを作ってみたら、所沢市周辺に47の事業者が64炉の焼却炉をもって操業していることがわかりました。次にそうした焼却炉がある地域の汚染状況を自分たちで調べ、焼却炉が生活環境に対してどのような影響を及ぼしているかを具体的にかつ詳細に把握することに努めました。ダイオキシンの調査など自分たちで手に負えないところは科学者の方に、法律は弁護士さんという風に専門家の方にも協力をお願いしました。
 そして、「さいたま西部・ダイオキシン公害調停をすすめる会」という団体をつくり、1999年に、焼却炉設置事業者や彼らに焼却の許可を出していた埼玉県に対して、焼却停止を求める公害調停を公害調停委員会に申し立てました。裁判をしたほうがいいのではないか、という意見もあったのですが、公害調停のほうが申立の手続きが簡単で、関心をもっている市民が多く関われると考え、そのような選択をしました。申し立てをする相手である対象事業者(焼却炉の業者)の数が多かったことも公害調停を選んだ理由です。
公害調停は「話し合い」ですので、出てくる事業者もいれば、出てこない場合もありますし、絶対焼却を続ける!というところもあれば、辞めてもいいよ、というところもあり、対応はさまざまでした。それと並行して環境省へも出かけて、規制を作って欲しいという要請もしていました。
 そのころ、テレビの報道番組でダイオキシンによる農作物汚染についての報道があり所沢産の野菜の価格が暴落するという事件が起こりました。突然、全国紙で連日報道されるような社会問題となったのです。それで農家の方が農林水産省や政府に直接、訴えたりしたこともあり、廃棄物処理法やダイオキシン対策措置法および条例などによる規制が強化されていきました。こうした経緯の中で焼却をやめる事業者が多くなっていきました。
 一方、絶対に焼却を辞めないという大規模な事業者もあり、そのうちのいくつかの事業者に対しては操業の差し止めを求める裁判も起こしました。こうした活動によって64炉あった焼却炉は現在では6炉に減りました。2003年には焼却を停止し、住民の立ち入りや環境調査に協力すると約束した事業者と公害調停を締結しました。
 しかし、焼却停止に応じない事業者や埼玉県との話し合いは平行線のまま、調停は不成立となりました。公害調停終結を機に、団体の名称を「埼玉西部・土と水と空気を守る会」に改名しました。
 今もまだ課題は残っています。焼却炉を辞めた事業者がゴミを貯めて、ゴミ山をつくってしまい、そこから火災が起こるという事件が2002年に起こりました。そこで、2005年から埼玉県内のごみ山調査、産廃施設による騒音・低周波音調査などを実施しました。また、焼却炉の事業者は、産廃処理から撤退したわけではなく、破砕処理施設に鞍替えして規模を大きくしているケースがほとんどで、産廃流入量も減っていません。
 破砕処理施設は粉塵を多く発生させていますが現在は規制がほとんどなく、住民の方はアスベストが含まれているんじゃないかと心配しています。粉塵で被害を感じる人の数は焼却炉の煙で被害を受けた人よりも少ないため、住民運動は焼却炉のときよりも盛り上がっていません。産廃の焼却によるダイオキシン問題を抑えることには成功しましたが、焼却以外の産廃処理による課題が解決されなければ地域の生活環境が本当によくなったとは言えません。現在、私たちの会では、新しい課題への取り組みに活動の軸を移しています。

◆埼玉西部・土と水と空気を守る会◆
○設立年:1988年、前身の公害調停をすすめる会発足(2003年、公害調停終了を機に改名して新たにスタート)
○主な活動エリア:埼玉県所沢市
○代表者:前田俊宣 人数:会報発行300名 事務局約10名
○所沢市周辺では、大量の首都圏産廃が流入しており、ごみ山、産業廃棄物中間処理施設の集中立地など、さまざまな問題をかかえている。1990年代、所沢周辺の産廃焼却・ダイオキシン問題が大きな社会問題となり、会を発足させた。
会の運動や裁判などその他の運動との相乗効果により、所沢周辺の焼却炉はその後、激減。2003年に公害調停が終結し、会の名称を「埼玉西部・土と水と空気を守る会」に変更し、現在は残された課題に取り組んでいる。
○ユニークポイント:専門家等と協働して自分たちでできる環境調査を行い、そのデータを基に、行政や事業者へ改善を訴えている点。

(出典 C's ブックレットシリーズNo.13 はじめよう市民のアドボカシー ~環境NPOの戦略的問題提起から解決まで~ こうやってます【事例編】)